全国特別支援学校長会の結成

 われわれ互いに扱う子供の障害の種類は違っても、結局、人間としての願わしい生涯を送れるようにしてやらねばならぬという目標は同じであり、責任は違わないわけである。

 また、たとえ盲・聾教育は80年の歴史があり、養護の教育はその何分の一の若い歩みに過ぎないにしても、この国やこの社会で、その教育条件の整備されることを切望する点においてはまったく同じである。

 何とか共同の歩調で堂々たる前進をしようではないかとの願いで、この全国特殊学校長会が結成された・・・(全国特殊学校長会『会報』創刊号より)
   
 
 
昭和38年(1963)
10・29
全国特殊学校長会
この数年前から気運が盛り上がっていたが、この日、都立青鳥養護学校で開催された全国養護学校長会総会後に結成した。

会長には小宮山倭(青鳥養)副会長に小野勲(光明養)米山守宏(のじぎく養)が推された。灘尾弘吉文部大臣は結成を祝うメッセージをよせ、そのなかで特殊学校・学級の整備と教職員の養成確保、教育内容の充実、改善をあげ、本会の今後の堅実な発展を期待する、と結んだ。

なお、この年の学校数は盲学校51、聾学校52、養護学校46、計149校であった。
11・23
日本特殊教育会設立
昭和39年(1964)
9・1
国立教育会館内に事務所を開設。
日本文化社の援助もあった。
11・17
39年度総会。

各種別の重複障害実態調査を行うことをきめた。

記念講演として、文部省特殊教育課長林部一二氏が「欧米の特殊教育」と題して話された。

昭和40年(1965)
5・24
総会。

虎ノ門ホールに90名が参加して開催した。盲15、聾40、養35であった。文部省からは安島審議官が来賓として出席された。

役員改選があり、副会長に和田忠己(千葉盲)が就任した。和田氏はこの後、10月に急逝された。40年度予算は約78万円であった。

5・24
全国特殊教育振興大会を開催。
上記総会のあと虎の門ホールに1,068名が参集して開かれた。

小沢澄雄(江東聾)下田巧(北養)の司会ですすめられ、愛知揆一文部大臣が祝辞を述べられた。
9・1
会報創刊号発行。
巻頭には第2代会長坂本茂樹(大田聾)初代会長小宮山倭連盟の「創刊号に寄せて」が掲載され、時間空間を結んで事象を記録に止め、歴史の資料を蓄積するとともに特殊教育関係者の広場にもしてゆきたい、との記述がある。
11・26
臨時総会。
東京都教育会館に盲15、聾57、養43、計115名が参集した。
司会は和田氏を継いだ鈴木力二(葛飾盲)であったことが記録に残っている。