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昭和32年3月15日、精神薄弱(当時)・肢体不自由・病弱虚弱の養護学校長8名で「全国養護学校長協会」を結成し、精神薄弱教育部会・肢体不自由教育部会・病弱虚弱教育部会を置くこととした。設立総会に参加した校長は、わずか6名であった。
初代全国養護学校長協会会長には松本保平氏(東京都立光明養護学校)が選任され、第1回総会を昭和32年5月16日から18日にかけて、東京都立光明養護学校に於て開催した。病弱虚弱教育部会会長には米山守宏氏(兵庫県立上野ケ原養護学校)が就任した。
その後、全国養護学校長協会の中で病弱虚弱養護学校校長会の活動を続けてきたが、昭和53年6月20日、各種別養護学校校長会の充実に伴い、全国養護学校長協会は発展的解消を図り、それぞれ三種別校長会が独立することとなった。
病弱虚弱養護学校の設置の経過は、小・中学校の特殊学級が後日県立に移管されて学校となったもの、あるいは、はじめから病弱虚弱養護の学校として設置されたものなどさまざまである。
現在では病院併設、又は隣接の学校がその大多数を占め、分校・分教室の多いこと、また、病類が極めて多様化していることなどが特徴である。
平成5年7月の総会において、会の名称を「全国病弱虚弱養護学校長会」から「全国病弱養護学校長会」と変更した。
さらに平成19年度より特別支援教育がスタートするに当たり平成19年6月の総会において会の名称を「全国特別支援学校病弱教育校長会」と変更した。 |
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